2021年4月18日の説経要約 「世の終わりまでともにいます」

2021年4月18日の説経要約

             「世の終わりまでともにいます」   照内幸代牧師

 

≪あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。≫

                          (マタイによる福音書28章20節)

 

イースターの希望のメッセージ、その一つ目は、「ここにはおられない」ということです。「ここ」とはどこでしょうか。それはイエス様の遺体がおさめられていた墓のことです。しかしその墓は空になっていたのです。十字架とはなんでしょうか。罪の象徴です。イエス様はその罪の力に勝利してくださったのです。ここに私たちの希望があります。私たちの命が、死で終わらないという希望です。イエス様の十字架の血潮を仰ぎ見る者は、イエス様が死から甦られたように、死んでも甦るという希望にあずかっています。それが教会で語られる永遠の命の希望です。私たちの人生には意味があって、苦しい試練も喜びで満ちあふれるときもすべて意味があって、それが死んで終わることのない命に繋がっているという希望です。

もう一つの希望のメッセージ、それが、「世の終わりまでともにいます」というイエス様からのお言葉です。それは、私たちがイエス様に代わって、イエス様のわざをするということです。天の父なる神様から与えられた、人の罪を赦す権威も、神の子の身分も、神様の御心をおしはかるということも、イエス様を通して私たちに託されたということなのです。イエス様は私たちの存在を通して、いつも私たちと共にいてくださるのです。

なぜこのことが、イエス様が地上に残られるよりも良かったと言えるかというと、それは一つ目に弟子たちの変化にあります。弟子たちが、イエス様が天にお帰りになられたあと、目覚ましい成長をします。今までの弟子たちがまるで別人かのように、イエス様のように病人を癒やし、悪霊を追い出し、人々にイエス様の教えを伝えて、福音を全世界に宣べ伝えるものとなります。イエス様が弟子たちを信頼してその使命を託されたことで、弟子たちは成熟したクリスチャンに成長したのです。

そして二つ目に、この私たちをも同じようにイエス様は、信頼して用いてくださっているということです。私たちは確かに不完全な人間です。しかしイエス様は、その私たちに宣教のわざを託してくださいました。私たちがイエス様から預かったこの使命に生きるときに、私たちを通してイエス様が働いてくださるのです。なんて大きなみわざだろうか、と思います。この不完全な私たちが、完全なイエス様の働きにあずからせていただけるのです。イエス様のみわざを通して、私たちが完全に近づけられることができるのです。

この世界がどんなに暗くなって、住みにくくなったとしても、イエス様はいつも私たちと一緒にいてくださいます。復活のイエス様の希望を胸に、私たちは世が大変なときはより一層イエス様の約束をにぎって歩みましょう。