真の姿

(マタイ17:1,2)
『六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
エスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。』

高い山の上は、非日常を表します。そこでイエスの姿が変わりました。
その栄光のお姿を現わされたのです。


そこに律法の代表者モーセと預言の代表者エリヤが現れました。
(ルカ9:31)
『二人は栄光に包まれて現れ、イエスエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。』
救いが十字架によって完成することが話されていました。
(マタイ5:17 )
『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。』
あまりの光景に仮小屋を作って留まりましょうと言ってしまったペテロですが、
さらに光輝く雲で覆われ、神の言葉を聞きます。


山を下り、日常の現実に戻りました。
ペテロ、ヨハネヤコブは復活まで今見たことを話さないようにと口止めされました。
彼らは復活の後、栄光のお姿を思い起こし、イエスの証人となっていきます。


神である御方が人となり、空しくなって人と共に歩いてくださいました。
私たちはイエスの姿をいろいろにイメージします。
聖画に描かれているような風貌が思い浮かびます。
しかし、罪ある私の内に住んでくださっている方の真の姿は栄光に輝いておられるのだとしたら
どのような気持ちでしょうか。
地上のどのような制限の中にも留まられない威光に包まれた主が、私の内に輝いておられるのです。


これはすごいことですね!
子ども恵みの会(説教の分かち合い)では、「嬉しい!」「安心だ」「自慢したい(誇らしい)」などの思いが分かち合われました。
日常の現実の中でイエスの真の姿に目が開かれるなら、この方が私の救い主ですと誇りを持って証言できます。


今週のデボーションでは、このペテロの証言を読みます。
エスの真の姿を深く思い巡らせましょう。

  

 次週礼拝
   2月12日(日)10:30〜    
   聖書:マタイ17:14〜20
   説教:「小さな信仰であっても」
       上中光枝牧師

   礼拝後:女性会総会