先週の説教要約 「金銀にまさるもの」

○先週の説教要約
『金銀にまさるもの』                    上中栄牧師
《わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい》。(使徒3:1−10)
《立ち上がり、歩きなさい》。これは、生まれつき足が不自由な男にかけられたペトロの言葉ですが、私たちにも呼びかけられているメッセージです。
この男は、歩けない、だから仕事ができない、だから施しを乞うしかない、というサイクルに生きていました。それが彼の日常であり、そのサイクルの中でとりあえず必要なものは「金銭」ということになります。しかしペトロは、《金や銀はない》と言います。そして、《ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい》と命じました。
私たちも、家族、健康、財産、能力、生きがい等々大事にしているものがあります。そして私たちもまた、その時々の状況に応じて必要なものを欲し、その次にまた別のものを欲するという、サイクルの中にいます。すると、自分にとって大切なものの順序が自ずと決まっていきますが、ペトロの呼びかけは、私たちの意識を転換させ、本当に大切なものは何かを考えさせます。ただの奇跡物語だと他人事のように読んでしまうと、大切なメッセージを聞き逃します。
そこで重要なのは、《ナザレの人イエス・キリストの名》です。《名》は存在や権威を表します。主イエスの十字架の死と復活は、人間を生かす救いの業です。この権威のゆえに、主イエスの《名》に力があるのです。そして《ナザレ》は主イエスがお育ちになった町ですが、そこからよいものは出ないと言われていました。つまり《ナザレの人》とは、蔑称でもあるのです。しかし、これこそ人間が大切にする順序とは異なる神の知恵であり、神の力です。
足が不自由だった男は、立ち上がっただけでなく、賛美しながら神殿の境内に入っていきました。今日、このような奇跡でなくても、《立ち上がり、歩きなさい》という呼びかけに応じる者に、神は力をもって応えてくださるのです。