先週の説教要約 「十字架の愛」

○先週の説教要約
『十字架の愛』                      上中光枝牧師
《しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました》。(ローマ5:8)
平和特集では「キリストの平和が私たちの心を支配するように」と祈りました。1週間の歩みはいかがでしたか?主イエスと結びつき、親しく交流していることが大切です。

主イエスが私たちを愛して、十字架にかかってくださったことはわかる。罪を赦して新しい命を与え、愛し合って生きるようにと導いておられることもわかる。でも、私はこんな者で…と自分にひっかかってしまうことはありませんか?救いは、神が与えておられるものをそのまま受け取るだけです。しかし、この「そのまま」受け取るということが案外難しいのです。


私たちが、十字架の愛を知ったのはどのような時だったでしょうか?今日の聖書箇所では《わたしたちがまだ弱かったころ》《不信心な者のために》(5:6)《わたしたちがまだ罪人であったとき》(8)《敵であったときでさえ》(10)と書いてあります。
私たちが主イエスを信じる力を持たず、罪の中にいて、神に敵対している時に、神の一方的で無条件の愛が現わされて、私たちは愛を知りました。
友人がある時「教会の集会で宣教師が、『この1万円欲しい人』と呼びかけたら、たくさんの人が手を上げた。『それでは取りに来てください』と言われて受け取ったのは、私だけだった。このように神の愛は受け取るだけです、と聞いてイエスさまを信じた」と話してくれました。


1万円、受け取れますか?自分の側に受けとる理由はないのです。神の恵みを受けるとは、ふさわしくない状態で、自分に見合わない素晴らしいものを、受け取ることです。1万円の内5千円だったら受け取れるとか、3千円だったら…と自分の見積もり分を支払わず、申し訳ないという思いをそのままに全額受け取るのです。私たちは、自分で自分を救えない、罪の赦しのために自分では全く支払えないということを認めて十字架を仰ぎ、この最初の愛にいつも立ち返りましょう。