先週の説教要約 「白髪になるまで背負われて」

○先週の説教要約
『白髪になるまで背負われて』               上中光枝牧師
《同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す》。(イザヤ 46:1−4)
敬老礼拝です。聖書は、《白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である》と、長老を敬う態度は、主なる神を畏れ敬うことにつながっていると教えます。《白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる》《力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳》ともあります。長寿の祝福を受けておられる方々と、共に礼拝ができることを感謝いたします。
神は《あなたが、白髪になるまで、背負って行こう》と最後まで私たちを背負って、共にいてくださいます。《わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す》と語られる、私たちを救うことのできる方です。人が作った神の像は、疲れ果てた家畜に負われ運ばれて、運ぶ人と共に倒れてしまうと書かれており、人を救うことができません。
しかし神が遣わされた主イエスは、私たちの罪を背負い、身代わりとなって十字架で死なれました。私たちの悩み、病気、心の痛みを理解し、共に担って、罪から救い出してくださる方です。
人は誰もが、胎の中、生まれた時には負われ、運ばれる存在でした。いつの間にか、全て世話されていたことを忘れてしまいますが、親が子を忘れることがないように、神が私たちを忘れることはありません。やがて自分の力で歩けなくなっても、赤ちゃんの時と同じように《あなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう》と私たちを見捨てることがありません。
神は、歩けなくなってから背負うだけではなく、白髪になるまでの途中の日々も、つまり全生涯を担ってくださっています。私たちが、誰の力も借りずに自分の力で歩いていると思っている時も、実は、神に負われ、生かされているのです。