先週の説教要約 「水にパンを投げる」

○先週の説教要約
『水にパンを投げる』                    上中栄牧師
《あなたのパンを水に浮かべて流すがよい》。     (コヘレト11:1、ヨハネ13:1−7)
パンを水に…とは、施しや海上貿易を指すとも言われます。いずれも、無駄と思えることでも、いつかその意味が分かる時が来るので、何事もあきらめずに一所懸命やること、信仰の営みであれば感謝と忍耐を教えている聖句です。
特に中高生などは、数学の公式など、将来役に立つのかと疑問を持つでしょう。しかし、買い物に公式は不必要でも、物事を論理的に考える助けになります。無意味ではないのです。若い時の苦労は買ってでもしろと言われます。何事も無駄と思わずに取り組むことは、将来の結実につながります。
では、年を重ねた人はどうでしょうか。今さら苦労はしたくないのに、勝手に問題が転がり込んできて、苦労が絶えないということもあるでしょう。そんな中で、自分がまだ若いと思うなら、事態が好転することを神の恵みと信じ、忍耐して時を待ち続けるのも良いでしょう。しかしこれは、知恵の言葉です。若い時とは違う響きを聞き取れるなら、神の恵みについて思い巡らす好機です。
例えば台湾では、報道で着目されたスターのような被災地が「明星災区」と呼ばれたそうです。犠牲者数の多さ、他人のために犠牲になった等の感動的なストーリー、奇跡の一本松のような象徴的な物のある場所は注目され、義援金も集まるそうです。人の痛みに共感し、援助したいと思う時でさえ、自分の思いを叶える方に関心がなびくことで、気付けないものがあるのです。
同様に神の恵みを自分で思い描くあまり、恵みに気付かないことも起こり得ます。主の弟子たちがそうでした。しかし主イエスは捕らえられる直前、弟子たちの足をお洗いになり、《わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる》と言われました。この《今》と《後》の間にあるのは、十字架の死と復活です。主イエスによって救われた者は、神の恵みは自分に近いと《分か》ります。私たちに必要なのは感謝と忍耐なのです。