先週の説教要約 「いのちより大切なもの」

○先週の説教要約
『いのちより大切なもの』                 根田祥一兄
《空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる》。 (マタイ6:25−27)
星野富弘さんの花の詩画に「いのちが一番大切だと思っていたころ 生きるのが苦しかった いのちより大切なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」とある。「いのちより大切なもの」とは何か。星野さんは語る。「東日本大震災以降で本当に多くの方がいのちを亡くされました。いのちがいちばん大切だとしたら、健康で長く生きることだけが価値ある人生なのだとしたら、生きるのは、あまりにも悲しくて苦しい連続ではないでしょうか。」
作家の三浦綾子さんは生涯、病気で苦しんだ。その苦しみが、人生の様々な苦しみを負った人の心に沁みる作品を生み出した。苦難を通して生まれた作品は、人々の苦悩に届き、人々を癒し、生きる勇気を与えた。彼女の「いのちより大切なもの」が、その作品と人生を通して人々を生かした。星野さんの詩画も「いのちの本当の価値とは何か」に気づかせてくれる。
何が星野さんを変えたのか。事故で半身不随となった入院中に差し入れられた聖書を読み、イエス・キリストの十字架を知って、「空が変わった。空が、神さまが見ていてくれる」と思うようになったという。マタイ6・25〜27でイエスは「自分の命のことで、思い悩むな」と言う。私たちに命を与え、養っていてくださる方がいる。試練の中で自分の命のことしか考えられない重荷を、富弘さんはイエスのもとに降ろした。そこから、慰めと優しさに満ちた詩画の数々を生み出していった。「いのちより大切なもの」を知った富弘さんは、その「大切なもの」に生きるようになった。それは、いのちを与えていて下さる方に委ね、そこから誰かを生かす生き方だ。星野さんは、人を救うために自らのいのちを犠牲にしたキリストの十字架を見据えている。十字架によって与えられるいのちは、死では終わらない、希望に向かう復活のいのちである。