先週の説教要約 「新しく生まれる」

○先週の説教要約
『新しく生まれる』                   上中 栄牧師
《はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない》。
ヨハネ3:1−15)
教理に続いて、ホーリネス教会が旗印としている「四重の福音」を取り上げます。これは、教理が客観的で体系的な信仰内容であるのに対して、信仰体験を強調したものです。教理で「義認」は法廷用語だと申しましたが、「新生」は同じキリストによる救いの、体験的な面を表す言葉です。
その根拠となっているのが、《人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない》という、主イエスとニコデモとの対話です。イエスを主と信じることは、頭だけの理解ではなく、涙を流して悔い改めたというような、心動かされるいわゆる宗教体験を伴う場合があります。また、その後の生活も変わっていきます。劇的な回心をした、酒・煙草をやめた、怒りやすかったのが親切になった、というような証しが、教会では語られてきました。
実際には私も涙を流して悔い改めた口ですが、感情は一時的なものです。悪習から離れるなどの生活改善は、キリスト者以外でもできます。米国で新生体験を重んじる「福音派クリスチャン」の多くは、キリスト教的な事柄を受け入れるものの、その問題点はあまり考えないと言われます。そうした人々の多くが現大統領を支持しているわけですが、信仰や宗教体験は思考停止ではありません。感情に流されず、「新生」の意味を正しく理解する必要があります。
そこで大切なのは、ニコデモの驚きです。新しく生まれることを、実際に母の胎に戻るのか、と問いました。霊的・精神的に理解してしまって素通りするのではなく、この謎めいたキリストの言葉に聞くのです。信じる者が永遠の命を得るために、《人の子も上げられねばならない》と主は十字架を指し示されました。新しく生まれる体験をした者は、このキリストの救いの恵みを、頭だけではなく、自分の全身全霊で驚きをもって受け止め、主体的に生きるのです。