2018年11月4日の説教要約 「主の示された地」

2018年11月4日の説教要約
「主の示された地」  大久保啓示牧師
<創世記13章8節〜18節>


アブラムは75歳という年齢で、あるとき神様から「わたしの示す地へ行きなさい」と御声を掛けられた。そして彼は、高齢であるにもかかわらず彼の妻サライと彼の甥であるロト、そして彼と行動を共にする人々と共にすぐに旅立った。しかも、神様はご自分の示す地へ行けとおっしゃったが、それがどこかも知らずに旅立った。
彼が旅を続けてベテルとアイという地域の間で天幕を張ったとき、アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちに争いが生じた。そのきっかけは、彼らの財産の多さであった。彼らの天幕をこのようなとき、彼らはどのような行動をとったのか。
 

①主の御心に沿った選択

8節を見ると、アブラムは、自分たちは身内同士だから争うことがないようにしようとロトに言った。
そして彼に、お互い別々の土地へ行くことを提案し、さらに9節では、どこへ進むのかロトが先に決めてよいとまで言った。
ローマ人への手紙12章18節には「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」とある。神様は、争いをされることを望まれない。ゆえに、アブラムのとった行動は、その理由は分からないとしても、神様の御心にかなったものであった。

 神様の御心に沿った選択をするために、私たちには日々の神様との交わりが必要である。アブラムの時代には聖書はなかったが、私たちは現在、聖書を通して神様が私たちにどのようなことを望んでいらっしゃるのかを知ることができる。私たちのまわりで困難やトラブルが生じたとき、神様の御心に沿った選択ができるように、日々神様との交わりを大切にしたい。


②主の示された地

アブラムと別れることになったロトは、ソドムという町の近くに天幕を張り、アブラムはカナンという地に住むことになった。ロトの選んだ土地は豊かであったが、ソドムは、よこしまな人々の住む町だった。一方、アブラムの選んだ土地はソドムに比べて荒れ地で、そこにはそれぞれいくつかの町が存在し、しかもそれぞれの町が城壁で自分たちの町を囲っているような土地だった。しかし、そのような土地に越してきたアブラムに、主は「アブラム、これらの土地を見なさい。あなたの見渡すこの地をあなたとあなたの子孫に与えるよ。だから、その土地を行き巡りなさい。」とおっしゃる。そしてヘブロンというところに移り住み、そこで祭壇を築いて神様を礼拝した。
私たちが何かの選択をするとき、外面だけを見て判断をしてしまうことはないか? サムエル記上16章8節で、サムエルがイスラエルの王を選ぶとき、神様は彼にこう語られた。「わたしの見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る。」ロトがとった選択のように、見た目の良さだけで判断して、ソドムの近くに住むことを決めてしまっては危うい。たとえ自分の目には良く思えないところでも、神様を信頼し、その御声に従って歩むことが大切である。


③主の驚くべきご計画

 ロトは選択を失敗したことによって神様に見捨てられたのか?神様によってソドムが滅ぼされた後、 長い時が経って、アブラムとロトの子孫はイスラエル人とモアブ人という別々の民族となった。それから、聖書の記事にあるルツ記で、この2人の子孫たちが結びつく。そしてダビデが誕生する。神様は、ロトのように神様を見上げる者が間違った選択をしたからといって、お見捨てになる方ではない。そうではなく、ちゃんと神様のご計画が備えられており、人の考えをはるかに越えて、その計画を成就される方なのだ。私たちも、もし神様から与えられた御言葉や示された思いがあるのでしたら、そしてそれが神様から与えられたものだという確信があるのなら、そのことが成就される時を信じて待つことが大事である。そして、アブラムが神様によって示された地が人の目には良くないように見えたように、私たちも神様から与えられるものが自分の目には良いものに見えずとも、神様の約束を疑わずに信じ続けることができるように、日々神様に信頼して、私たちの歩みを確かなものへとしていただくよう祈っていきたい。