2018年11月18日の説教要約 「あなたの祈りを聞いた」

2018年11月18日の礼拝説教要約
「あなたの祈りを聞いた」  中田善次牧師
                      <列王記下 19章20節、20章5節>


聖書箇所:ヒゼキヤの祈りが答えられた二つの箇所
王下 19:20 アモツの子イザヤは、ヒゼキヤに人を遣わして言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『アッシリアの王センナケリブのことであなたがわたしにささげた祈りをわたしは聞いた』。

王下 20:5 「わが民の君主ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。『あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。』

ヒゼキヤ王は、40歳前後にして、人生の危機に二度直面しました。一度目は敵の襲撃、二度目は病気。いずれも命の危険にさらされるものでした。その二度の危機をヒゼキヤ王は祈りによって乗り越えた。「あなたの祈りを聞いた」と神から言われたのです。そして、敵が天使によって打ち破られ、病が癒やされたのです。
これだけを見ると、ヒゼキヤ王はすごい、祈りの人だ、そのように思います。しかしそうではなかったのです。ヒゼキヤ王の普段の姿は私たちのとそれほど大きく変わりませんでした。
アメリカの日系人教会におりました時、Kさんというユニークな方がおられました。彼は「僕は普段は、あんまり祈らない。でも本当に祈らなければならない時には、本気で祈るよ」と。
Kさんと同じような側面がヒゼキヤ王にあったと思うのです。ヒゼキヤ王は、必死で祈りに向き合える時と、信仰の緊張感が緩んで、祈るよりも、自分の知恵を使って動いてしまうところがあったのです。

① 祈りより知恵を使ったヒゼキヤ
ヒゼキヤは紀元前715年にユダの王に即位しました。そしてすぐに国内の宗教改革を行いました。(列王記下 18章2〜7節)
次にヒゼキヤ王は、紀元前705年、アッシリアの弱体化に乗じ、アッシリアへの貢ぎ物を止めました。(列王記下18章7節)
また国の中では、過ぎ越しの祭りを再開しました。この祭りには、滅ぼされた北イスラエルにも呼びかけました(歴代誌下30章1節)。
しかしながら、この改革は純粋に信仰からでたものではなかったのです。何故ならこの準備に5年かけていたのですが、エジプトとの同盟をして、この事に備えていたのでした。
ヒゼキヤの信仰を支えてきた預言者イザヤは、これに強く反対していたのでした。
それから5年もしない紀元前701年、アッシリアのセナケリブの軍隊が襲ってきたのです。この時、驚くことにヒゼキヤ王は、あっさり降伏して、金や銀を与えたのです。(列王記下18章13〜16節)
ここからわかるように、ヒゼキヤの強気の政策は、信仰からでたものではなく、王としての野心であり、エジプトとの同盟に頼っての政治的なものでした。
また列王記下20章を見ると、ヒゼキヤは、新興国バビロンとも同盟を結んでいた事が分かります。
ヒゼキヤ王の普段の姿は、祈りよりも、自分の知恵や政治的な手腕に頼って、生きていたのです。

② 祈りの油注ぎを受けたヒゼキヤ
ところがヒゼキヤ王のエジプトとの同盟、準備してきた努力が何の役にも立たない事が明らかになります。(列王記下18章14節と17節)。
ヒゼキヤ王が降伏して、貢ぎ物を渡して恭順の意を示したにもかかわらず、口語訳では列王記18章17節で、「また」という言葉が出てきます。
ラキシュに拠点を置いていたアッシリア軍の将軍が、エジプトとの同盟が役に立たないことを告げ、エルサレムを包囲したのです(列王記下18章19〜21節)。
「また」とは、同じ年の内のもう一度、という意味です。
今度はラブ・シャケという将軍をつれてきて、エルサレムを18万5千の大軍で包囲したのです。
その時何が起こったでしょうか。それは祈りのリバイバルでした。アッシリアに囲まれて、ヒゼキヤ王がしたことは、祈りです。必死で祈ったのです。(列王記下19章14〜19節)
ヒゼキヤ王はここで祈りに追い込まれたのです。もう神様しか頼るお方はいない。自分の政治的な手腕に失望し、神の前に出たのです。それは、言葉を換えると、祈りの油が注がれたのです。
神はヒゼキヤ王を待っておられたのです。祈りの場所に、必死になって出てくるのを待っておられたのです。
私たちは困った事があっても、まずは人に相談します。あるいは本を読んで知恵を得ようとします。そこには、自分で何とかしようという思いがあるのです。本当にひざまずいて、神にすがる。そのような姿を神は待っておられるのです。

③ ヒゼキヤの祈りを助けた人々
ヒゼキヤ王は危機に直面して祈りました。それは一人ではなかったのです。仲間がいたのです。
列王記19章1〜4節を見ると、ヒゼキヤ王は側近に共に祈るように願い、預言者イザヤに執り成しの祈りを要請しました。
祈りのために大切なのは、祈りの仲間です。ヒゼキヤ王には、祈って自分をサポートしてほしいと言える仲間がいたのです。
それだけでなく、いつも自分のために祈ってくれている助言者がいたのです。それが預言者イザヤです。
イザヤさん。私のためにいつも祈ってくれてありがとうございます。私のために、いつも以上に祈って下さい。そのようにお願いしたのです。
神がヒゼキヤのことを評価しておられるのは、この一点ではないかと思うのです。ヒゼキヤ王は、普通の人でした。自分で何とかしようとする人でした。そして何度か失敗をした人でした。でも彼は、必死になって祈ることの出来た人です。また、謙虚になって、私のために祈って下さいと言える人でした。
「あなたの祈りを聞いた」と、私たちもまた、神から言っていただきましょう。