2019年11月24日の説教要約 「一生感謝」

2019年11月24日の説教要約

                                    「一生感謝」   中道善次牧師

                                                     <1テサロニケ書 5:16~18>

 

アメリカのカレンダーでは、毎年11月第四木曜日が「感謝祭」の祝日になる。

 

 1.感謝を選び取る

アメリカの感謝祭の歴史:幾つかの資料を総合した内容で、資料によっては年代や人数が異なる場合がある。

1620年、100名以上の人々がメイフラワー号に乗って、プリマス港を出港。

彼らはイギリスから逃れ、信仰の自由を見出す為に旅をした。ピルグリム(巡礼者)と呼ばれる。

1620年11月21日、大西洋横断の66日間の危険を乗り越えて、マサチューセッツ州ケープ・コードの近くに来た。しかし先住民の妨害に遭って、一ヶ月以上、上陸が遅れた。

最初の冬、寒さ(雪)と食料不足と伝染病の為に、44名が亡くなった。

大西洋航海中にも亡くなった人がいた。

149名で出発したピリグリムの数は半分ほどに減少した。

1621年の春、二人のインディアンがピルグリムに出会った。彼らの名はサモセットとスクァント。彼はピルグリムたちに、この新天地でいかにして生き延びてゆくかを教えた。

1623年、ひどい旱魃に見舞われた。雨が降らず、とうもろこしは育たず、みんな冬を越す事ができないと思われた。インディアンたちは彼らの神々に雨が降るように祈ったが、効果はなかった。

インディアンは、ピルグリムたちと一緒にイエス様に祈った。9時間後、雨雲が現れ、翌朝、雨が降り出し、それが14日間も続いた。多くのインディアンはイエス様を信じた。

そして神様に感謝をささげる日が計画された。これがサンクスギビング(感謝祭)の始まりである。

彼らは新大陸での困難を祈って、感謝を選び取ることで、乗り越えた。

厳しい航海と上陸の妨害があっても、誰もここは駄目だ。もう帰ろうと言わなかった。

大収穫ではなかったが、それを神様に感謝した。

仲間が多く亡くなったが、彼らは希望を失わなかった。

感謝することを選び取る人生を送りたい。

 

2.天国に行ける感謝

マタイ25章16節から始まるタラントンの喩えがある。

マタ 25:16 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。

マタ 25:17 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。

マタ 25:18 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。

マタ 25:24 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『ご主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、

マタ 25:25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』

最後の1タラントンを土に埋めた男のことで次のような想像をした。もし彼が商売して、失敗して、タラントンをなくしてしまったら、この主人はどう言っただろうか?

「失った1タラントンを返すまで働け!」そのようなことをこの主人は言うだろうか。

私の理解は、「よく頑張った」と彼を励まし、もう一度1タラントンを彼に預けて、次のチャンスを与えると理解する。それは私の体験から来る神理解から、そのように言える。

私はかつて開拓伝道を行い、ようやく会堂建築の計画をするところまでこぎ着けた。しかし幾つかの問題により、これ以上開拓伝道を継続することが難しく思われた。そのような追い詰められた中で祈っていたとき、神は私に「お前が開拓伝道に失敗しても、私はお前を天国に入れる」。そのような内なる語りかけをいただき、励ましを受けた。

神は私たちの成功するかどうかに焦点を当てておられるのではない。神から預かった恵みを用いて働くこと(恵みへの応答)を求めておられるのである。

これをゼロの感謝、何も持たない者の感謝と言うことが出来る。

 

3.主は与え、主は取られる

ヨブ記は苦難の書物と言われている。

ヨブは、財産を失い、子どもたちを失ったときに、神に感謝して、礼拝を献げた。

ヨブ 1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」。

この言葉は諦めを意味するのではない。「主は与え、主は奪う」。この言葉には、神からお預かりした祝福を神の手に返すという信仰が表現されている。そして、お預かりした祝福に対する感謝が表現されている。

どんな苦難の中でも、恵みを与えて下さった神に向かって感謝することが出来る。

聖歌476番(新聖歌252番)「安けさは川のごとく」の作詞家ホレイショ・スパフォードの人生に起こった悲劇。

彼はシカゴで弁護士として成功を収め、アメリカの有名な伝道者ムーディの友人でもあった。1873年にかかりつけの医者から妻のために休暇を取るように勧められ、家族と船でヨーロッパ旅行をする計画を立てた。

しかし出発直前ある出来事が起きて、ホレイショは出発を延期しなくてはならなくなった。妻と4人の娘達を予定通り出発させ、自分だけ数日遅れで出かけることにした。

船の衝突で、スパフォード一家の乗った船は海の底へと沈んでしまった。妻だけ奇跡的に助け出されたが、娘達は4人とも溺れてしまった。妻は「私一人だけ助かりました」と夫に電報を送った。

スパフォードは電報を受取り、イギリスへと向う乗船券を手に入れた。船が事故現場を通りかかると彼は涙を流しながら娘達が沈んだ波間を眺めた。それを見ていた周りの人は、もう彼は駄目かもしれないと思った。しかしその時、スパフォードに歌が与えられた。それが「すべて安し」(聖歌476番)であった。

感謝を選び取る人生を送りたい。