2023年1月8日の説教要約 「一生感謝 その2」

2023年1月8日の説教要約

        「一生感謝 その2」   中道善次牧師

 

≪どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。≫

              (1テサロニケ5:16~18)

 

「一生感謝」を鵠沼教会は、2023年の御言葉として掲げました。

今日もう一度、「一生感謝 その2」として語ります。それは、苦しみの中でも感謝することができる、「ゼロの感謝」という切り口からのメッセージです。

 

 

1、天国に行ける感謝

ここでお読みしたい聖書の箇所はマタイ25章16節から始まるタラントンの喩えです。

協会共同訳の引用

マタ 25:16~18 五タラントン受け取った者は、出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンもうけた。同じように、二タラントン受け取った者も、ほかに二タラントンもうけた。しかし、一タラントン受け取った者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠した。

一タラントン預かった人と主人のやり取りです。

マタ 25:24~25 一タラントン受け取った者も進み出て言った。『ご主人様、あなたは蒔かない所から刈り、散らさない所からかき集める厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出て行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』

私は、最後の1タラントンを土に埋めた男のことを考えてみました。もし彼が商売して、失敗して、預かったタラントンをなくしてしまったら、この主人はどう言っただろうか?

「失った1タラントンを返すまで働け!」

そのようなことをこの主人は言うでしょうか?私にはそうは思えないのです。それは、私の体験から、聖書を理解し、神を理解することがあるからです。

1992年から私たち夫婦は、茅ヶ崎市の萩園というところで開拓伝道をスタートしました。

10年かけて、2001年、ついに会堂を立てられるところまでこぎつけた時に大きな試練に直面しました。こんなことで開拓伝道は大丈夫なのか。会堂建築は大丈夫なのか。

私は追い詰められたような気持ちで祈っておりました。

その試みに直面したとき、これで自分の人生が終わってしまうような気持ちで私は祈っていました。「神様、10年かけて開拓伝道をしてきたのに、結局失敗しました。会堂を建てるために、教会員の皆様から献金をお預かりしているのに、建てることが出来ないかもしれません。ああもうだめです。」

そのような祈りをしていた時、主の細い声が聞こえたのです。

エス様が私に語りかけられるように心に響いてきたのです。お前が開拓伝道に失敗しても、私はお前をちゃんと天国に入れてあげるよ。だから心配しなくていいよ。

はっとしました。

その続きとして、次のことが示されたのです。

お前の伝道が上手く行くかどうかとお前の救いは関係ないのだ。お前が今行っている伝道は、教会の働きは、私の救いの恵みに応答して行っているだけなのだよ。

だめならまたゼロから始めればいいよ。私が一緒にいるから。

エス様からそういわれて、救いと献身を振り返り感謝しました。

主の言われる通りです。私には、もともと何もないのです。何もない私を救って、永遠の命を授けて、天国に導いて下さいました。私の人生は、その恵みに答えているだけです。

私は、その体験から、タラントンの喩えの理解をするのです。1タラントンの人間が、失敗して、ゼロになっても、神様は、よく頑張った。今回は失敗したけど、私の救いの恵みは変わらない。私のためにもう一度、主の働きをしてくれるか?そのようにおっしゃって、もう1タラントンを預けて下さる。それが私たちの主であります。

エス様によって救われた者は、どんな苦しみの中にいても、ゼロの感謝をささげることが出来るのです。その感謝が、苦しい中でも前に向かって進ませる力になるのです。

 

2、主は与え、主は取られる

2007年3月と2007年5月、私は若くして亡くなった方々のご葬儀をあげました。

それは、心が破れるほど辛く、何を語ったらよいか当惑しました。その時、示された聖書の個所が、ヨブ記1:21からでした。

ヨブ 1:21 言った。「私は裸で母の胎を出た。また裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の名はほめたたえられますように。」

神を畏れ、真面目に正しく生きてきたヨブという人物に、ある日、突然悲劇がおそったのです。お金持ちのヨブでしたが、財産を失い、子どもたちを失ってしまったのです。

その中で、神を礼拝して言った言葉が「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。(口語訳)

仏教的背景を持つ日本人は「主は与え、主は取られる」を、ある種の諦めに似た境地として理解する傾向があります。しかしこの言葉は、そのような意味ではありません。

「主の御名はほむべきかな」という言葉がその後に続いています。これは、神を礼拝する言葉であり、神に対して感謝と賛美を献げている言葉であります。

子どもや家族のことを自分の所有物のように思うとき、親と子どもの関係はうまく行きません。キリスト教では、家族は、特に子どもは、神様からの預かり物という考えがあります。

ヨブの考えは、まさにそうでした。ヨブは子どもを亡くしましたが、大切な家族はすべて神様からお預かりしているのだ。財産もそうです。だからいつかはそれを与えて下さった神様の手に返さなければならない。ヨブはそのことを認識して、子どもたちという祝福を、家族という祝福を、私に与えて下さり、ありがとうございました。しかし今、神様にお返しする時なのですね。あなたの手にこの祝福をお返しします。ありがとうございました。

そのような思いで、信仰で、ヨブは神さまをほめたたえたのです。

私たちが、辛くてギリギリの時に献げることの出来る感謝は、神様、祝福をありがとうございました。与えていただいた祝福をあなたの御手にお返しします。

このメッセージをいただいたことは、葬儀を行う私にとっても大きな慰めでありました。

 

3、感謝の言葉を繰り返す力

アメリカの大学で、ヘブライ語のクラスを取りました。教授は、ヘブライ大学で学んだユダヤアメリカ人でした。彼は私たちにヘブライ的教育法を教えてくれました。

学生たちに、声を出してヘブライ語を読む。そしてドリル、ドリルと言ったのです。

ドリルは、訓練を重ねることです。反復練習です。そしてこの反復練習を重ねるというのがヘブライ的な教育であります。

私は、感謝の習慣を身につけることも、ドリルであると思います。

そのドリルで大切なことは、声を出すことだとユダヤ人の教授が教えてくれました。

感謝の言葉を口に出すこと、「感謝の言葉を反復する力」を是非覚えていただきたいのです。

私は反復の力を、マイナス・イメージの増強という事で学んだことがありました。

あなたはもし「自分は駄目だ」という言葉を口に出していたら、その言葉を一番聞くのはあなたです。あなたが口に出した否定的な言葉が、マイナスの言葉が、口から出て、一周回るようにして、あなたの耳に到着する。それは強調された形であなたの耳に到着するのです。それを繰り返す度ごとに、本当にそうだ。私は駄目なのだ。その確信がどんどん強くなってくるのです。

しかし、良い言葉を反復すれば、積極的な事柄、前向きな事柄が強調されて、それがあなたの心の中で確信となるのです。

私たちの教会には、日系ペルー人の集まりがあります。スペイン語集会と呼んでいます。

彼らとの交わりは、25年以上、続いています。

彼らは、茅ヶ崎教会の新しい会堂のために、自ら進んで掃除をしてくれ、ペンキを塗ってくれ、ワックスを掛けてくれました。会堂を自分たちのことのように喜んでくれました。

そして新しい会堂で一緒に祈祷会を持ちました。

二人で祈るとき、彼は、毎回、毎回、「中道先生に感謝します」と祈るのです。もちろん「神様への感謝」も言っているのですが、そこに中道先生への感謝も加わるのです。それは教会を自由に使うことが出来ることへの感謝です。

目の前で「中道先生に感謝します」と祈るのです。目を閉じています。祈りの最中ですから、ストップもかけられません。

不思議なことですが、中道先生に感謝しますと祈られる祈りの言葉が、すり込まれるように、私の心の中で反復するのです。その言葉が、私の心の中に入り、確信のようになりました。

それは、私がまだ会堂返済の重荷を抱えていたからです。会堂を与えて下さったことを感謝しますとは言えるようになりましたが、会堂返済に関して、毎年の返済額を考えると大きな重荷でした。

大丈夫だろうか?という心配もやってくるのです。また、返済と共に、ビルのメインテナンスにもお金がかかるのです。

でも「感謝します」「感謝します」と祈られると、祈られる度ごとに心が軽くなり、祈られる度ごとに、大丈夫かもしれない、大丈夫だよと、少しずつですが、確信のようなものがわいてきたのです。

感謝の言葉を口に出して繰り返す。それが私の心を強め、力を与えてくれました。

イスラエルの人々は毎週の礼拝でそれをしました。詩篇を朗唱することでそれをしました。感謝を一番強調している一つが136篇です。最初の3節だけ紹介します。

詩 136:1 主に感謝せよ。まことに主は恵み深い。慈しみはとこしえに。

詩 136:2 神々の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

詩 136:3 主の中の主に感謝せよ。慈しみとこしえに。

〇〇に感謝せよ。そのいつくしみはとこしえに。詩篇136編は、これを26節、ずっと繰り返すのです。

感謝が、信仰者の体質を変えるのです。体質が変わると、言葉や行動が変わってくるのです。

マイナスと思えることも、感謝することで乗り越えることが出来るのです。

そのような感謝の実を結ぶ者とならせていただきましょう。