2020年6月7日の説教要約 「箱舟から出なさい」

2020年6月7日の説教要約

        「箱舟から出なさい」  中道由子牧師

≪さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。≫ 

                                                                                 (創世記8章1~16節)

 

 1、 心に留めてくださる神

この新型コロナウィルスの影響で、私たちは外出をしない、人と交わらないことを余儀なくされてきました。それによって、心の病気にかかり、心療内科を受診する人が増えたそうです。朝起きて体がだるい、夜眠れないなどの症状があります。一般的には、規則正しい生活をする、という肉体的な面と、孤独感を溜め込まない、という精神的な面を解消していきましょう、と呼び掛けられていました。

感染者数も減って来て、緊急事態宣言は解除されました。海外では、日本のあり方を検査の数が少ないからという批判もありました。海外のようにロックダウンという都市閉鎖はできないが、外出しないでくださいというお願いなのです。けれども、感染者が減ってくると日本の対処の仕方が見直されてきました。日本人はマスクをつける習慣がある。ハッグも握手の習慣もなく、お辞儀で挨拶をする。清潔で、家に入る時、靴を脱ぎます。また、皆で協力し、足並みをそろえていく国民性です。感染者も減って希望も見えてきた時、解除したらまた感染者が出てきたというニュースもあります。これ以上自粛を続けると経済が成り立って行かない。感染の第二波が来ないように気をつけながら、やはり自粛生活は自主的に続けないといけない現状であります。何か閉じられた箱の中に入れられたように感じられます

そんな時、ノアの家族が箱舟の中で長い日々を生活した、この記事は私にとっては身近に感じました。ノアの家族は、神が命じられた通りに箱舟に入りました。

7章16節「主はノアの後ろで戸を閉ざされた。」のです。

雨が降り出した日にちもきちんと書かれています。

7章10、11節「ノアの生涯の第六百年(歳)、第二の月の十七日、その日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。」

この「大いなる深淵の源」というのは、創世記1章2節に出てくる「水のおもて」が裂けたのですから、すごい大雨が40日40夜降り続けたわけです。

どんなに恐ろしかったでしょうか。

ノアの家族は、大きな箱舟ではありますが、たくさんの動物たちと過ごしました。サッカーの球技場ほどの長さであり3階建ての船は、船の形をしてはいるけれど、航海はしない、目的地に進んでいかない、ただ浮かぶだけの用途の船です。神様は船ではなく箱舟を造りなさいと言われました。船は動力があり航海ができますが、箱舟は前後がなくただ浮いているだけです。帆も舵もなく、ひたすら水の流れるまま波打つままに動くだけです。この船を動かされるお方は神であるという信仰がなくては、船を運航することはできません。どんなに激しく揺れても神に任せて過ごすしかないのです。

 今回コロナウィルスの自粛で皆さんに会えない時、茅ケ崎教会のホームページから礼拝を聞いていただきました。それも聞くことが出来ない方々がおられます。「先生、大丈夫。聖書日課でひたすら聖書を読んでいます。」とおっしゃいます。教会もひっそり静まり返っています。でも、外では、新型コロナウイルスに感染した方々のニュースが嵐のように流されている状態でありました。

私たちは、神様の御言葉にしがみついてこの時を過ごしていきました。

 ノアたち家族が箱舟の中で過ごした日々は、どれくらいだったでしょうか。

7章11節をご覧ください。「ノアの生涯の第六百年(歳)、第二の月の十七日」に雨が降り始めました。そして、8章13節に「ノアが六百一歳の時」とあり、14節にその「第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。」とありますから、ほぼ1年が経過しています。

ノアと家族、そして動物たちが箱舟に入ってから百五十日間、水は地の上に増え続けました。

おそらくこの期間、ノアとその家族、そして動物たちは様々な困難に遭い、それぞれに限界を覚えたことでしょう。たくさんの動物の世話とその匂い、人と動物が箱舟という限られたスペースの中にいること自体、無理があったでしょう。準備していた食料にも限りがあったはずです。

しかし、主はそのような状態の中にあるノアと動物たちを「心に留めておられた」のです。主は決して彼らを不自由な状態のままに放置しておくことはなさらなかった。

主はその民に試練をお与えになさいますが、決して耐えられない試練に合わせないだけでなく、時至ると、脱出させてくださるのです。

コリントの信徒への手紙一10章13節「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

神は着々とみわざを進めておられたのです。

8章1節「神は、・・地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」

それと同時に、2、3節「深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は止み、水は地上からひいて行った。」

その結果、箱舟は第七の月の十七日にアララテの山に止まったのです。

アララト山は、トルコ共和国の東端にある標高5,137mの山であり成層火山です。

8章5節「第十の月の一日には山々の頂が現れた」のです。

 

2、人に与えられた判断力

ただひたすら待つ時が終わりました。

外の状況は変化していったのですが、箱舟の中からは外の様子は分からなかった。

神もどんな様子か知らせてはくださいません。外の状況を判断することは、ノアの役割でした。

クリスチャンにとって分別力と判断力は大切です。神のみ心に従っていたノアが、自分の判断力と分別力を用いるべき時が来たのです。ノアは急ぎませんでした。

 ノアがしたことは、水が減り始めてから、40日経って箱舟の窓を開けて、烏を放ちました。烏は皆さんもご存知のとおり生命力があります。地が乾いているかどうかを見るためでしたが、烏は地が乾き切るまで箱舟を出たり入ったりしていました。

 その後ノアは鳩を放ちました。一回目はそのまま戻ってきましたが、二回目は、オリーブの若葉をくちばしにくわえて戻ってきました。水はかなり引いていて、オリーブの木はもう若葉を芽生えさせるまでになっていました。そして三回目。鳩はもう戻って来ませんでした。完全に水が引いたのです!

 私たちもこの新型コロナウィルスの影響下、慎重に行動してきたと思います。

日本は、十分な検査結果がでていないと海外から批評されても、私たちには毎日の感染者数が減ることを祈り、国や県の指示をじっと待っていました。また、ホーリネス教団の指示に従うことも肝要なことです。立てられた指導者の方々のために祈ってきました。

日本ではありえないことですが、我慢が出来ない人たちが、自粛解放のためにライフルを持って議会に押し寄せていく様子がメディアでは映し出されていました。

ロックダウンされた都市では、外出許可書が必要で、無駄な外出には高額な罰金が科せられました。

医療の場では、多くの医療従事者が感染者のために働き、教育の場でも、子供たちのために駆使されたと思います。私たちは自分たちに出来る烏を、鳩をとばして判断をしていきます。

ノアは、幾日かにわたって幾度も烏と鳩を外に放ち、水がひいて地が現れているかを確認しました。

この正しい分別力と判断力は、一瞬にして持てる者ではなく、艱難は忍耐を、忍耐は練達を、という「忍耐」と「練達」の賜物であります。

そして、「さあ、皆一緒に箱舟から出なさい。」という神の御言葉によって船から出たのです。

 

3、新しい生活

ノアとその家族はどんなに嬉しかったことでしょう。

ノアとその家族は神様の命令によって、「一緒に」箱舟から出てきました。一年間も箱舟の中にいたのですから、我先にとびだして来そうなものです。しかし、彼らは箱舟の中で喜びも苦しみも互いに分かち合って生活していたので、「一緒に」新しい世界に踏み出したのです。同時に、動物たちも、「一緒に」連れ出しなさいという神の命令に従い、ノアたちと共に新しい世界に出てきたのです。

神様は、「産めよ。増えよ。地に満ちよ。」と祝福されました。

これは、天地創造の時と同じ祝福の言葉ですが、箱舟から出た、新しい生活は、今までと同じではありませんでした。

9章3節「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。」

と、この時から神様は肉食を許されたのです。ひとつには、洪水によって食物となるべき木や草がだめになり、水が引いた後もかなりの期間を経なければ実を結ぶようにならないという緊急事態だったからかもしれません。もしかしたら、人は神の許しなしにすでに肉食を始めていたとも考えられるので、それを主がお認めになったということであるかもしれません。

主は、「ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」という制限を与えられた。

「いのち」を軽視すると、動物だけではない、人まで殺すようになるといけないからです。

神は神のかたちにかたどった人間の命の大切さをもうひとたび教えたのです。

大切なことを忘れてしまう私たちだからです。

緊急事態宣言が成され、オンライン礼拝になる前は、私たち牧師は礼拝に誰が来て、何人集まったかが気になっていました。しかしオンライン礼拝は、オンラインの向こうにいる人たち、教会外の人たちも聞いてくれている、その人たちに福音が届くように願って収録されます。私たちは、ただただ神様を賛美し、主に礼拝をささげていました。基本に立ち返ったのです。

聞いている方も、そうだと思います。自分は信仰の本質を見失っていた、という反応をいただきました。

 この緊急事態宣言が解除されて、私たちは元のように生活できるように、元のように皆で集まって礼拝できるように祈ってきました。

しかし、元のようにではないと思うのです。

ノアたち家族が箱舟から出た時も、元のようにではなく新しい生活を始めたことでしょう。

新しい信仰生活は、基本に忠実な歩みです。主に近く、祈り、賛美し、み言葉に生きる生活です。

その中で神様は群れを励まし、真理に飢え乾いている人をご自身の方法によって導いてくださいます。