2021年2月7日の説経要約 「救いが来た」

2021年2月7日の説経要約

                                 「救いが来た」      照内幸代牧師

                                         ≪ヨハネの黙示録 19章6節~16節≫

 

本日は19章から、私たちのところに来た救いについて読み取りたいと思います。大きく二つのことを考えたいのですが、一つ目にその救いは、婚姻・結婚になぞらえられているということです。

6,7節に「子羊の婚礼の時が来た」と天の軍勢が賛美していると書かれています。神様によって来た救いというのは、子羊の婚礼にたとえられているのです。子羊とは私たちの贖いのためにほふられたイエス様を指していますから、花婿はイエス様ということになります。

では花嫁は一体何を指し示すのでしょうか。

パウロはⅡコリント11:2でこう書いています。「私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから」。「あなたがたを一人の夫キリストに」と書かれているので、それはなんだか読み手一人一人のことを言っているように思いますが、あなたがたというのはこのコリント教会のことを言っているのです。コリント教会を、キリストと婚約させたと言っているのです。またエペソ人への手紙5章では、「教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」と、キリストと教会の関係を夫婦の関係にたとえています。

神の国、神の救いのご支配が到来するとき、それはキリストと教会の結婚式であるというのです。ですから私たちが神様によってもたらされる救いのことを考えたときに、それは教会と切り離して考えることができないものだということをわきまえておかなくてはなりません。確かに救いに与るのは私たち一人一人であるという側面があり、信仰告白は一人一人が自分の意志で表明するものですが、その救いが来るとき、それはキリストと教会の永遠の繋がりが来たことを意味しているのです。私たち個人が救いに与りますが、それは共同体としての意味を持っています。私たちが救いのことを考えるときには、共同体のこと、教会のことをも心に留めるのがセットなのだということです。

二つ目に、この救いはイエス様の到来によってもたらされたということです。11節に、白い馬に乗っておられる方は、「確かで真実な方」と呼ばれ、義を持ってさばき、戦いをされるとかかれています。「確かで真実な方」というのは、協会共同訳で「忠実」および「真実」と書かれています。神の御前に一切罪を犯さず、忠実に十字架の道を歩まれたイエス様のことをあらわしています。イエス様は神のかたちであられたのに、自ら私たちのところに来て、私たちと同じ姿になってくださり、死にいたるまで、それも犯罪者に対する極刑であった十字架の死にいたるまで神様の前にあゆんでくださいました。それはイエス様を信じる者が誰でも、救いに与るために、自ら進んでそうしてくださいました。

この方は、「義をもってさばく」とあります。このイエス様は、さばき主として私たちのところに来てくださったのです。日本語で「さばき」とか「報い」とか言いますと、もしかしたらマイナスのイメージを持たれるかもしれません。確かにここで裁きというとき、それは悪に対して主が報復されるという意味もあります。しかし同時に、この裁きというのは、救いが行われることを意味しているのです。裁きというのは同時に、恵であるということなのです。

皆さんもし、神様が悪に対して報復するためだけに裁きを行うのだとしたらどうでしょうか。勿論きよくて正しい神様ですから、悪を許しておくということはできません。もし神様がご自分のきよさのためだけに裁きを行うのだとしたら、この世界も、この私も、とっくに滅びているのです。きよい神様と悪は同時に存在できないわけですからそうなります。しかし実際に神様が行われたのはなんということでしょうか。神様は罪を持っている人間がご自分の裁きを受けないために、御子イエス様を地上に送り、十字架にかけて、その流された血と復活を信じる者は、その罪が覆われて救いにあずかるという裁きを用意されたのです。誰でも神の裁きが行われるとき、主イエスキリストを仰ぎ見る者は、救われるという裁きに与っているのです。

私たちはこのように素晴らしい神様の約束に与っているのですから、失望しないでそのときを待ち望みましょう。やがてイエス様が来て下さることに期待し、今自分に与えられている信仰生活を、神様の御前に忠実に歩みましょう。やがて私たちは子羊の婚宴に招かれ、そこで「忠実なしもべよ、よくやった」とねぎらっていただけます。