2021年11月28日の説経要約 「真実なるキリストと歩む」

2021年11月28日の説経要約

                               「真実なるキリストと歩む」   照内幸代牧師

イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方はダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。≫

                                   (テモテへの手紙二 2章8節)

 

本日の聖書箇所からは、「キリストが真実なお方であるから、だから私は命ある限りキリストのために生きるのだ」というパウロの熱い思いが伝わって来るような気がします。パウロのその言葉に耳を傾けて、神様から励ましの御言葉をいただきたいと思います。

V8「イエス・キリストのことを思い起こしなさい」とあります。「思い起こしなさい」という言葉は、「思い出しなさい」という言葉です。テモテは勿論イエス様のことを知っています。しかし、パウロはテモテに一つのことを、改めて思い起こすように促しています。それは、主イエス様が「死者の中から復活された」、真実なるお方であるということです。この「死者の中から復活された」という言葉は、現在完了で書かれています。「死者の中から復活された」というとき、それは「死者の中から復活し、今も生きている」ということを意味するのです。「テモテよ、そのことを忘れてはならないよ」とパウロは言っているのです。ローマの迫害は厳しくなり、殉教する者が出て、牢屋に入る者が出る。しかし、キリストは、このような中にも生きて働いておられるのだ!私たちはキリストの御手の中にあるのだ!とパウロは語ります。

次にパウロは、キリストが真実な方であるゆえ、耐え忍ぶことを言っています。V9「この福音のために私は苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。」とあります。この「犯罪者」という言葉、「カクールゴス」というギリシャ語は、新約聖書の中では他に一つの場面でしか使われていません。それはマルコ15:27、そしてルカ23章、「強盗」がイエスと共に十字架につけられたというときの、「強盗」という言葉です。パウロはまさに今、自分はキリストと苦しみを共にしているのだと思っているのです。パウロは獄中にいて、犯罪者のように繋がれています。しかしパウロはそれを耐え忍んでいます。パウロは主イエス様が罪人の一人に数えられたことを思い起こしているのではないでしょうか。キリストと共に死ぬなら、キリストと共に生きる。耐え忍ぶなら、キリストと共に世を治める。パウロは繰り返しこの賛美歌を歌いながら、牢の中で過ごしていたのです。あの主イエス様が、罪人の一人に数えられて救いの道を達成したように、私のこの苦しみは、後の人たちが救いにあずかるためなのだ。また、あのキリストと共に磔になり、死を前にして回心した強盗が救われたように、この私もキリストと共にパラダイスに立つのだ。パウロはその確信に立って、牢屋の中でキリストと苦しみを共にしていたのです。

11-13節の賛美歌は、最後このように締めくくられています。V13「私たちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストはご自身を否むことができないからである。」

皆さん、私たちは神を全能であると信じています。その神の子であり、まことの神であるキリストにも、できないことは何もないと信じています。しかしこの賛美歌は、その神にできないことがあると言って締めくくられているのです。それは、真実であるご自分を否定することである、と歌っています。これこそまさに、神が真実であるというきわみです。神は真実であるから、ご自分を否定することはできない。私たちが真実でなくても、キリストは永遠に真実である。それがかたちとなってあらわれたのがキリストの十字架と復活です。私たちはその信仰に立っているのです。