2022年11月6日の説教要約 「イエスは道・真理・命」

2022年11月6日の説教要約

    「イエスは道・真理・命」   中道由子牧師

 

《イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。》

                                           (ヨハネによる福音書14章1~7節)  

 

1、備えられた場所

 14章2節に「わたしの父の家には住む所がたくさんある。」と書かれています。

ある聖書は、「住む所」を「マンション」と訳しているのです。”In my Father’s house there are many mansions.” 日本にもたくさんのマンションがあります。

でも英語のマンションはどちらかと言うと、豪邸と言う意味です。

天国にはこの地上のマンションに比べて、はるかに優るたくさんのマンションがあり、多くの聖徒たちがそこに住んでいるのでしょう。

主イエスは、再びこの世においでくださり、愛する者たちを天国のマンションに迎えてくださるのです。私たち主イエスを信じる者はこの約束に心が躍ります。

これは地震や火事や戦争にも破壊されない、神とキリストが用意してくださっている永遠の住まいなのです。

そして、私たちはこの地上において、すでにここに入る保証を与えられているのです。

しかし、イエス様が備えてくださる住まいに行くためには通っていかなければならない道があります。

 

2、イエスは道

 6節の「道であり、命であり、真理である」の中心は「道」にあります。

それはトマスの質問が、どこに行かれるのですかという、目的地までの道筋に関するものだからです。

英語を見ますと、全部に定冠詞「THE」がついております。I AM THE  WAY、 私こそが唯一の絶対の道。これ以外にはない。

エスの十字架がどのように天に至る道を開いたのでしょうか。

「道」をヘブル語で「デレク」と言います。

デレクというヘブル語は、本来「踏みつける」という動詞から派生した言葉であります。道とは踏みつけられて出来るものという理解です。

 同じように、イエス様は、人々から踏みつけられて、十字架にかかり、殺されて、私たちのために天に通じる道を開かれたのです。

また、道とは「あり方」を示します。イエスこそが私たちの人生の「あり方」を示すお方です。私達が生きているのは目的があるからです。何のために人生を送っているのか。

それは神に愛され、神から託された目的を果たし、神の栄光を現す人生が一人一人に与えられているからです。

 さらに道は、「方向」を示します。英語の道という言葉の一つ「WAY」にもそういう意味が含まれています。私たちの人生航路が、行く先のわからない旅であるとすれば不安です。主イエスは私たちの人生の行くべき方向、ゴールを指し示される。

父なる神様とイエス様が、手を広げて待っていてくださる天のみ国です。

私達のこの地上での人生は、天国を目指しての旅路なのであります。

途中で、その方向から逸れてはならないのです。

  

3、イエスは真理

  私こそが、THE TRUTH、「真理」と呼ぶ。

これは自らを絶対的な者、神である事の宣言であります。

キリスト教は、イエス様を神として信じているのです。立派な人、模範とすべき人、宗教の創始者、というレベルではなく、イエス様は「神」なのです。

 そして、真理には普遍性がなければなりません。あの人、あの国には当てはまるが、この人、他の国には当てはまらない、では真理にはならないのです。

日本人は、日本の神様がいるし、日本の宗教があるといいますが、それらは別の国に当てはまるでしょうか。当てはまらないとしたら、真理ではないのです。

キリストは、国を超えて、民族を超えて、世界でもっとも多くの人々に信じられてきた、また信じられているのです。

人間にとって普遍的な問題は罪と死であります。

それに対する解決が、イエス様御自身です。十字架にかかり復活されたイエスは、どの国の、どんな人にも、罪と死からの救いを与えるのです。

 真理のもう一つの側面は不変性であります。

ヘブライ人への手紙13章8節「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」とあります。時代とともに色褪せてしまうような真理ではない。

1世紀から21世紀に至るまで、聖書の真理は、変わらないままなのです。

 

4、イエスは命

 新約聖書の書かれたギリシャ語には、「いのち」を表す2つの言葉があります。

1つはプシュケー、これはどちらかというと肉体の命、神がアダムを造られたとき命の息を入れたということです。

もう一つはゾーエーといい、人の内側にある本質的な生命を表します。

 ヨハネ福音書が救いを示す特徴的な言葉「永遠の命」は、ゾーエーを使います。

エス様は、私達の内側の命を与えてくださるお方であるということです。

エスの命には、元気「活き活きとしたバイタリティ」が与えられるだけでなく、そこには永遠の命への希望があるからです。

地上の命はいつか消えてなくなります。

しかし、主イエスによって与えられた永遠の命は消えることなく、私たちは地上の人生を終える時、永遠の命をいただいたまま天国に移し替えられるのです。