2023年3月26日の説教要約 「自分自身を築き上げなさい」 

2023年3月26日の説教要約

               「自分自身を築き上げなさい」   照内幸代牧師

≪しかし、愛する者たち、あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に自分自身を築きあげなさい。聖霊によって祈りなさい。≫  (ユダの手紙 20節)

 

さて、このユダはどうして諸教会に手紙を書くことにしたのでしょうか。その理由が3節に書かれています。彼は信仰のために戦うことを励ますことにしたと書いています。それは、不敬虔な者たちが忍び込んで来たから、とあります。4節。そしてユダはその後、聖書の出来事を引用しながら、不敬虔な者たちと、そういう者たちがその後どのようになったかということについて書き送っています。これらの不敬虔な者たちについてユダの言いたいことはつまりこういうことです。第一に彼らは、こういう不敬虔な者たちが遥か昔からいるにも関わらず、そのことに学ばず、自たち自身も自分の身をわきまえずに不敬虔をし続けています。第二に、彼らは自らの不敬虔な行いの故に、神は彼らを滅びに定めておられるということです。彼らは今自分たちの欲のままに行動していますが、それがいつまでも続くわけではなく、終わりの日には神様が正しい裁きをなさるのだとユダは言っています。

しかし彼がこの手紙で書きたかった真意は、別段こういった不敬虔な者たちについてではありません。皆さんも聖書をお読みになってお気付きの通り、これらの不敬虔な人たちについては、ユダはかなり省略して書いています。では彼は何を言いたかったのか、それこそ20節以降に書かれていることなのです20-23節。不敬虔な者たちが、どんな不敬虔な行いをしてどういう裁きに遭ったのか、それはあまり重要なことではない。あなたがた自身が、神の前にどう生きるのかが重要なのだということです。ユダは信仰の戦いを励ますために手紙を書いたのです。信仰の戦いとは何を意味するか。第一にそれは、自分自身を築き上げることに他ならないのです。それが不敬虔な者たちに対する信仰の戦いなのです。私たちは勘違いをしてはならないのです。それは、戦うべき相手は不敬虔な者たちではない、本当の敵は人間ではなく罪や悪魔のわざなのであって、向き合うのは自分自身であるということです。

第二に、信仰の戦いというとき、それは私たちが戦うのではない、キリストが戦われるのだということです。私たちが信仰の戦いと聞いたとき、まず頭に思い浮かべる聖書の御言葉は、エフェソ書に出て来る神の武具の御言葉ではないでしょうか。エフェソ人への手紙6章10~18節も、パウロが悪魔に対して神の武具を持って立ち向かうことを励ましていますが、そこにはこう書かれているのです。皆さんお聞きになって分かる通り、神の武具のほとんどが防具です。信仰の戦いに対する神様の態度は、実は旧約聖書の時代から一貫しています。それは戦われるのはあくまでも神であって、私たちではないということです。

ですからユダは、こう言います。22-25節。私たちが敵だと思う人は憐れみなさいと言います。

私たちは信仰の戦いをするというときに、不敬虔な者たちを説得したり張り合ったりするのではありません。その者達をあわれみ、私たちがいただいている愛を分け与えるように教えられています。そして、それは私たちを守り、傷のない者として立たせてくださる、私たちの主イエス・キリストがしてくださるのです。