2023年6月11日の説教要約
「聖霊と共に生きる」 中道善次牧師
今年、教団が掲げた御言葉は、前教団委員長が祈って与えられたものです。
それは、ヨハネ福音書14:16です。 「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる。」
2022年に掲げた御言葉は、ヨハネ20:21でした。
その中心部分は、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなた方を遣わす。」
それに続く言葉、ヨハネ20:22は、「そういってから彼らに息を吹きかけて言われた、聖霊を受けなさい。」
前教団委員長は、ヨハネ20:21の続きとして、聖霊のことを掲げられたのです。
ヨハネ20:22ではなく、ヨハネ14:16として「共にいて下さる聖霊」を今年の私たちの教団の聖句としました。
ヨハネ20:22は、専門的には、「ヨハネのペンテコステ」と言われます。
ペンテコステと言うと、ルカが使徒言行録2章で記したペンテコステの出来事が思い出されます。ペンテコステというと、聖霊が激しく下り、弟子たちに異言をはじめとする賜物が与えられた。そして彼らは積極的に伝道した。これがペンテコステのイメージでありますが、ヨハネは、もう一つの切り口から、聖霊の恵みを語っています。
1、聖霊の風が優しく吹く
ある宣教師は、キリスト教の神について次のように語っていました。
日本人がキリスト教の神様について理解する時、天のお父様といわれる「父なる神」は、神が天にいるものだと言う日本人の考えにも合うものなので、だいたいわかっていただける。
次に子なるイエスが神である。イエスは人間ではなく、神なのか?ここを受け止める難しさはありますが、イエス・キリストは歴史の教科書にも出てくるので、イエスというお方のイメージはわかる。
しかし難しいのは、聖霊です。聖霊と言われても、何ですか?多くの日本人はピンとこない。
同じように、聖霊について語られてもピンとこなかった人がいます。それがヨハネ3章に出てくるニコデモです。この人は国会議員であり、聖書学者でもあり、お金持ちでもあり、人生経験豊かな方です。しかし、水と霊によって新しく生まれるというイエスの言葉が全く分からなかったのです。
その説明の中で、イエス様は次のような言葉をニコデモに対して言われました。
ヨハネ3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。
ここでイエスは、聖霊のことを風に例えています。ヨハネは、そよ風のような優しい風として表現します。
聖霊を受けなさいと弟子たちに語られたとき、イエスは息を吹きかけたとあります。息も、ふっと吹く、優しい風に近いです。そこにヨハネの聖霊理解があるのです。
聖霊が優しく吹かれるので、あれっと振り返り、後になって聖霊に触れられたと分かることがあるのです。
ヨハネ福音書14:16:「わたしは父にお願いしよう。父はもう一人の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる。」
他の聖書の翻訳では、慰め主、助け主、があります。
弁護者と訳された言葉は、ギリシャ語では、パラクレートスという言葉です。
この言葉の意味は、呼べば近くに来てくれるお方です。
また、私たちが失敗することがある。罪を犯すことがある。
その時、天におられるイエスが、パラクレートスになって下さる。このように書かれています。
1ヨハネ2:1 (ヨハネの手紙一)わたしの子たちよ。これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
罪を犯す、失敗したと言うことだけでなく、人から嫌なことを言われたり、責められたりすることがあります。そのようなときにも、聖霊様が私たちの側にいてくれる。味方になってくれる。慰めの言葉を語ってくださるのです。
寂しいときに、誰がいてほしいと思うときがあります。そのような時、そばにいてくれる。パラクレートスは「慰め主」であります。
次に注目していただきたい言葉は、ヨハネ14:16で、イエスは、聖霊のことを「もう一人の弁護者」と言っておられます。「もう一人」と訳されているギリシャ語は、アロスです。その意味は、「私と全く同じもう一人」です。
私たちはイエスの臨在を感じることがあるでしょう。ああ、イエスがここにおられる。それは感覚、感じる事であります。しかし厳密にいうなら、イエスはここにはおられません。何故なら、天に昇られたからです。今も天におられて、私たちにために祈っておられるのです。では、側におられるのは誰でしょう。それは聖霊です。
聖霊の臨在をイエスの臨在として感じることを聖霊は喜ばれるのです。
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」
この意味の一つは、イエスが復活されることでしょう。しかしヨハネ福音書16章は、聖霊のことを語っている言葉ですから、しばらくして私を見るとは、聖霊が来られることを指している。聖霊様が来られたら、心に住まわれたら、私を見るようになる。それは聖霊によるイエスの臨在であります。
ヨハネ16:14では、「その方は(聖霊)わたしに栄光を与える」とも言っておられます。
聖霊がそばにいてくださる。心の中にいて下さる。それは、イエスがそばにいてくれるのと同じなのです。
聖霊によってイエスの臨在を実感する大切な行為の一つ、それは賛美です。
3、聖霊は御言葉を通して働く
聖霊の働きは、多岐にわたります。賛美の中で働かれる。祈りの中で働かれる。人を救いに導くことも聖霊様のお働きであります。ある真理を思い出させてくださいます。
そのような多岐、多様な聖霊の働きの中で、大切な一つが、聖霊は御言葉を通して働かれる。
5月に、韓国に行きました。韓国から日本に来る宣教師候補の面接があり、会議がありました。とてもよい青年です。日本語も上手です。しかし課題がある。それは御言葉の体験が明確でない。
これは何を言っているのか。聖書の言葉を通して、神が私に語られた。そして確認を持つことです。
聖書の言葉を通して、神が私に語られる。それは聖霊の働きなのです。
それは人間の知恵や知的な理解を超えているものです。
コロナ感染症によって、オンラインで礼拝を守ってきました。今もそうしておられる方もおられます。茅ヶ崎教会のオンラインの説教を聞いて、聖霊に触れられ、感動された方がいます。私は涙を流すような感動的な話をしなかったのです。しかし感動を与える、それが聖霊の働きなのです。その方は、オンラインを通してイエス様を信じて、オンラインの配信の奉仕を毎週しておられます。それは紛れもない御言葉の体験であります。
聖霊なる神様は、聖書の言葉を用いて、今も私たちに働きかけなさるのです。