2024年2月18日の説教要約 「約束に忠実な主」

2024年2月18日の説教要約

   「約束に忠実な主」     中道選子神学生

 

エズラ記 1章1〜7節、4章24〜5章2節)

 

《シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。》

                        (エズラ記 5:2 新共同訳)

 

1.約束に忠実な主

イスラエルの民は神様の命令に聞き従わなかったので、イスラエルは北王国のイスラエルと、南王国のユダに分裂してしまいました。

さらに、ユダ王国の人たちは神様に背き続けたので、バビロンという、当時とても力を持っていた国に、打ち負かされ、捕囚として連れて行かれることになってしまいました。

この後、バビロン王国もペルシャという国に滅ぼされて、代わりにペルシャがユダやあらゆる国々を支配するようになります。

 

しかし、不思議なことに、ユダを支配していた、このペルシャの王、キュロスが、バビロン捕囚によって連れてこられたイスラエル人たちに、「首都のエルサレムに帰って、神様の神殿を建て直しなさい」と命じられました。

異国の王であり、異邦の神をも礼拝するキュロスの心さえも、神様は動かして、神殿を建てるために、イスラエルの民を、自分たちの国へ帰らせてくださいました。

このことが実際に起こる190年ほども前に、神様は、イザヤという預言者を通して、すでにこのことについて預言されていました。そのことが、イザヤ書の44章の28節に記されています。

 

[イザヤ書 44:28]

  キュロスについては『彼はわたしの牧者。

  わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。

  エルサレムについては『再建される。

  神殿はその基が据えられる』と言う。」

 

今までイスラエルは、何度も何度も、神様に背いて来ました。

それでも、神様の約束は変わらず、神様は、人間の目には不可能に感じるようなことを、不思議な神の方法で、成し遂げてくださいます。神様は絶対に約束を忘れない忠実なお方です。

 

 

2.主の約束に不誠実だった民

神様が、イスラエル人のために、バビロンからエルサレムへと帰る道を開いてくださり、彼らはエルサレムに帰って行きました。

さて、これから工事をどんどん進めて、待ちに待った神殿を完成させて、みんなで礼拝するぞー!と、意気込んでいたと思いますが、そうは簡単に行きません。

イスラエルの地に代わりに住まわされていた外国人や、その混血の民となったイスラエル人から妨害を受けるようになりました。

そして彼らは、「今は時ではないのかもしれない」と思い、その妨害に屈して、神殿の工事を中断してしまいました。

神様がこんなにも誠実であるにも関わらず、イスラエルの民は、その約束よりも、自分のことばかりを優先してしまうようになりました。

そんなイスラエルの人たちに、神様はハガイという預言者を遣わして、このように告げられました。

 

[ハガイ書 1:2~4]

万軍の主はこう言われる。「この民は『時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は』と言っている。」

 すると預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。

  「この宮が廃墟となっているのに、

  あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」

 

イスラエルの国に帰らせてくださったのも、背後で働かれた神様であるに関わらず、彼らは、その神様の約束を大切にして、神殿の建設に集中するのではなく、自分の生活を優先していました。

そんなイスラエルの人たちに、預言者ハガイを通して、神様は忍耐強く、神殿を建て直すように励まされました。

そして、その言葉に従っていった時に、更なる支援を受けて、彼らは主の神殿を建て直すことができたのです。

 

 

3.私たちに与えられている約束

目には見えませんが、私たちにも、イスラエルの人たちと同じような約束が与えられています。

私たちは神様に背く罪ある者たちでしたが、神様は私たちを、神の国に立ち返らせてくださいました。それは、ずっと預言されてきた、救い主イエス・キリストを信じることを通してです。

そして、私たちにもイスラエルの人たちと同じようなミッションが与えられています。それは、神の国を広げ、建て上げていくことです。

神の国とは神の統治という意味があります。物質的な国ではなく、神が治められ、神様の御心と善がなされる時、そこに神の国があるのです。

 

今は目に見えない神の国を、私たちはどのように建て上げていくのでしょうか。それは、王であられるイエス様の言葉に従い、イエス様のように生きていくことを通してです。

私たちは、神様から与えられている約束、ミッションよりも、自分の生活、関心、心配に集中してしまってはいないでしょうか。

神様は諦めず、こんな私たちに御言葉を与え、約束に何度でも立ち返らせてくださるお方です。

今日、私たちは、神様の言葉に聞き従い、神の国が与えられている約束と、それを建て上げていくミッションに、立ち返るものたちでありたいと思います。

 

私はアメリカから日本に帰ってきてしばらくした時に、アルバイトを探していました。

私は神様に「あなたが私に行ってほしいと思っておられるところに、私を遣わしてください。あなたが求めておられる人たちをそこに置いてください。」と祈っていました。

 

そうして決まったアルバイト先で働く中で、そこで働く一人一人のために祈って欲しいから、神様は私をこの場所に置かれたのだと確信しました。

それから私は、一人一人が、神様の愛と出会うことができるように、救いが与えられるように、祝福があるように、真剣に祈り始めました。

するとその中で不思議な出会いと会話のきっかけが与えられ、一人の方が教会に通ったことがあることを知りました。

そして、彼女が再び教会に通うようになるのを、見届けることができました。

神様はその方のことを忘れておらず、彼女をもう一度神様のもとに引き寄せたいから、私をその方と出会わせてくれたのかもしれないと思い、神様の愛を強く感じた機会でした。

でも、その方も辞めてしまい、私もアルバイト先に慣れていき、学校や奉仕の忙しさの中で、バイト先のために祈ったり、出勤前に祈ることがおろそかになっていっていきました。

 

バビロン捕囚から帰ってきたイスラエル人も、最初は「主の宮を建てあげよう!」と張り切っていましたが、全然上手くいかず、時間も経ってその状況にも慣れ、気持ちも薄れ、イスラエルでの自分の生活に没頭していくようになりました。

神様は、私たちが属している職場で、学校で、教会で、家族の中で、友人関係の中で、神の国を建てあげていって欲しいと願っておられます。

私たちはその一つ一つの場所に、神様が置いてくださっていることを忘れてしまうことはないでしょうか。

神の国を求める心を新たにして、祈りを持って、それぞれの場所に向かっていく私たちでありたいと思います。